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奇跡のリンゴの木村秋則さん

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最初に知り合ったのな私が営業の仕事で30年位前のことでした。

30歳位で確か小学校前の女の子供二人と両親と岩木町五代の

りんご農家でした。

良いりんごを作りたいと行動的で鶏糞をりんご園に入れる作業

に熱中していました。岩手県の養鶏家から12トントラックで

4箇所のりんご畑に施すとスコップで一人で生鶏糞を土に?混ぜる


作業をしてもっと効率を上げる方法ないものかと相談を受けた事

がありました。私はナマコンクリ-トの知識がありましたので中古

のナマコン車とベルトコンベアがあれば何十倍も作業ははかどる事

を話したこともありました。

当時は無農薬農業の知識が無く畑に肥料を施す事で頭がいっぱいの

様でしたしかし生鶏糞はむしろ害になることを知ったのかやめたよう

でした。トラックを遊ばせて置けないので運送の仕事をして運送料

で生活の足したこともあったようでした。

運賃を約束手形で受け取り

その手形を現金化するのを相談受けた事もありました。

あるとき訪ねると畑の作業小屋に入って吃驚酒瓶、ビ-ル瓶、粉々

に壊されて呆れてしまった.その数20本ぐらい

相当ストレスが溜まっているようでした。

@何故奇跡のリンゴと呼ばれるのか。

リンゴ農家は大部分手仕事の作業ばかりその中でも薬剤散布が最も

辛い、夏の炎天下で雨合羽を着て汗だくの仕事私の両親もリンゴ

副農家でしたのでお袋は薬剤散布中に倒れたり終われば寝込む事

もありました。それだけ強い薬剤を使ってリンゴの虫,病気対策を

していた怠ればその年収穫減少してしまう。

映画でも同じような奥さんが苦しんでるシ-ンがありました。  


県のリンゴ課、リンゴ協会、から毎年リンゴ防除暦が配布され詳しく

時期に合わせ薬剤、数量、混合比が指示され散布するのが年15回程

少しでも間違えればリンゴの商品価値がおちてしまう。

当時と現在では薬の毒性を和らげているとの事ですが基本的には同じ。

@リンゴ博士と言われる学者、研究者も農業者の為に実験し研究するも

  無農薬栽培は絶対不可能との結論に木村秋則さんが成功したので

  奇跡のリンゴ言われるわけです。

@ その後の接点は何年か後にキャバレ-の客引きをしているとき


@ 日本経済新聞やNHKに取り上げられ成功した事を知り

@ その経緯は本を買って詳しく知りました。

  いくらか木村さんと接点のあるものとして素晴らしく誇りの思います。

@ 過日木村さんの講演会に出席して声をかけたら以前と同じくそのまま

  でいくら有名になっても謙虚でいいやつです。




































































































































































































































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